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1年経って思うこと

音楽大学という場で勉強するようになって、早いもので1年が過ぎました。これから音楽を勉強したいと考えて悩んで情報を求めている、特に社会人の方に何かお役に立てることがあればと思い、実際に過ごして感じたことを少し書いてみようと思います。
音大に進んで、正直なところ当初期待したことの半分は満たされたけれど、半分は満たされていません。足りないと思う部分は自分で活路を見つけていくしかないのですが、準備にも進んだ後にも費用がかかることを考えると、半分が満たされないというのは物理的にも精神的にもかなり痛いです。これは学べるけれどこれは自分で対応しなければ...という辺りの見極めが事前に出来るといいのにな...と思います。
私が最初に音大に行きたいと思って周りに相談したとき、音大に行かなくても音楽の勉強はできる。莫大なお金がかかるのだから音大じゃなくてもいいのでは、と仰った先生がいらっしゃいましたが、今はその意味がよく分ります。
満たされなかった部分のことに言及すると、それは大学の問題というより私が大人だから、ということに関係しています。ストレートに音大に進んでそのまま勉強を続けて演奏活動をされている同世代の人と自分を比べた場合、今大学に行っている私とでは差があるのは歴然としています。その部分を今すぐとは言わないまでも早急に埋めていきたいと思った場合、大学だけでは到底間に合わないのです。
HPをご覧いただいて、いろいろやっていると思ってくださる方もいらっしゃると思います。それは本来だったら受験勉強をして、音大に行って(または相当する勉強をして)、さらに卒業後も勉強を続けて...といったことを今同時並行して進めているからなんです。これからは入れ物の中身を充実させる努力をしていかなければ、と考えています。
それからもう一つ、実際に過ごして痛感したことは、多くの人が望むものや機会に限りがある場合、同じ力があったら現役が優先になるということ。それが嫌なら周りを納得させるだけの力をつけていくしかないということ...就職活動などとまったく同じことで、大学だったら機会は均等だろうと思ったのは大甘でした。学費を払う身には今イチ割り切れませんが、想定される教育対象より上であるというのはその分ハンデを負っていることだということを改めて感じた1年でした。
年間行事をまとめてみようと音楽暦を1年通してみたときに、大学で過ごしている時間は長いけれど、学外で勉強していることが意外に多かったということに気付かされます。音楽を勉強するための基礎訓練としての場所という意味での意義は大きいけれど、大人が音楽の勉強する場合に絶対行かなきゃいけない場所、というわけでもないように思います。
また、社会人の場合は年齢差も開くからか、年齢や家庭環境などの個人情報が本人が預かり知らぬところでだだ漏れになる場合があります。門下生全員の前で年齢などを言わされるとか先生が全員の前で言うとか、まったく関係のない学科の先生にそうした情報が流れてその先生の授業で他の生徒に喋る(単なる馬鹿?とも思いますが(笑))なんてことも時として起こります。自分が直接関わる友人や先生に隠すつもりはなくても、宣伝して歩きたいとは思いませんよね?そういう状況に遭遇すること自体、不愉快に感じるものです。
社会人の感覚としてはいずれも非常識極まりない話だと思うのですが、いわゆる日本の象牙の塔(笑)という場所では往々にして起きることだそうで...横並びが当たり前の日本の学校特有の現象かもしれません。入った当初だけで済むのかもしれませんが、もう一つ大人になって笑ってかわせるようになりたいですね(^^ゞ

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